セネガル再訪

2021年6月に、セネガルの小学校を訪問しました。

私は、2006年から2年間セネガル に青年海外協力隊員として長期滞在しました。また、2014年から2015年にかけて、計6ヶ月、コンサルタントとして滞在しました。15年前(2006年)、6年前(2015年)と比較して、気づいたセネガルの小学校、特に教師、の変化についてお話したいと思います。

最初に教師の児童への態度がずいぶん優しくなったと感じました。16年前は、生徒を指差して、「こいつは馬鹿だから」と平然という教師が一定数いました。今回はそのような態度の教師は見られませんでした。授業中、上の空でいる児童に「○○、聞いているか」と注意するなど、授業に集中できない生徒への声かけしている様子も確認できました。

第2に、教師の試験に対する考え方が変わったと感じました。プロジェクトで児童に試験をさせると、6年前は問題を説明する中で答えを教える(教えてしまう)教師がよくいました。テストは結果が全てで、成績という目の前の結果しか見えない教師が多かったのだと思います。今回、テストを実施して、答えを教えてしまう教師は見当たりませんでした。「テストは、児童の理解度を測るツール」という考えが徐々に理解されつつあるのだと思います。形成的評価という言葉を耳にすることも多くなりました。欠席している児童を担任教師が把握していないなど、まだまだ十分ではありませんが、少なくとも試験の答えを教師が生徒に教えるという驚きの状況はなくなりつつあるようです。

第3に、授業では、フランス語の説明がほとんどになっていました。

15年前は、地方都市でも現地語での試験問題の説明が必要な状況でした。生徒がフランス語を理解できないためです。今回も低学年では教師が現地語で試験の説明をしていましたが、それほど必要ないと感じました。算数の授業を見学した際も、15年前は、合いの手のように使われていた「デンガ(わかったか?)」などの現地語も、ほとんど使われていませんでした。もちろん、農村部に行けば状況は違うと思いますが、今回訪問した都市部ではフランス語が理解できる児童が増えてきていると感じました。

第4に、体罰の激減です。16年前は、ほとんどの教室の入り口にムチが掛けられていました。休憩時間が終わっても教室に戻らない生徒や授業中に騒がしい生徒などに使われていたので、教師がムチを持つだけで、生徒がクモの子を散らしたように教師から離れていく様子を見て私は苦笑いするしかありませんでした。今回、5校を訪問して、20クラスで確認しましたが、ムチが置かれていたのは1クラスのみ、しかも教室の奥の教師の机の上に置かれていただけでした。ムチがあまり使われていないことが確認できました。そのほかに、休み時間に遊んでいる生徒の中に教師がいたり、生徒と教師の距離が縮まっている印象を受けました。

教室の後ろに置かれたムチ。元は車のタイヤのゴム?現役引退も近い?
校長室で正座させられている男子生徒

第5に、私立中学高校の激増です。公立学校でも新校舎が続々と建設されていますが、小学校がほとんどです。中学校も建設されていますが、都市部では敷地の問題もあり小学校ほどではありません。16年前の任地である地方都市を歩いていると、大規模な私立中学、私立高校が増えていました。60年前の植民地時代に作られ、使われなくなった大きな建物をそのまま校舎に活用している例も見られ、大型のスクールバスが駐車されている様子を見ると、中等教育の大衆化、親の教育への関心の高さと公教育への不信など、いろいろなことを考えてしまいました。

公立小学校では新校舎が続々と建設